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みどりのおうちのじかん tenobe.exblog.jp

誰にとっても、日々の暮らしは かけがえのない時間。ひとつひとつを大切に物語をつむいでいきたい


by hituzi-to-yagi

枠をでる

日曜美術館の「糸から生まれる無限の世界〜ヌイ・プロジェクトの挑戦」を見た。
(興味のあるかたへ 再放送は7月2日にあります)

何年前だったか、なんという名前の本だったか、もう忘れたけれど、針一本で生み出される刺繍の数々を紹介
した本があって、読んだ時に、すごい衝撃と歓喜と呼んでいいものが涌き出てきてずっと忘れられず、たまに思い出していたのだが、画面を見るとまさにそのとき紹介されていた施設だ。鹿児島のしょうぶ学園だ。

今回、映像で、実際に作っているかたたちを拝見してわかったが、そのひとりひとりが刺繍しているときの至福の表情が、またなんとも幸せな気持ちにさせてくれる。
ああ、そうか、ひとが好きなことに打ち込んでいるとき、一緒にいるひとはやっぱり幸せな気持ちになるし、「その幸せな時間そのもの」といってよい作品を受け取ったひとは、やっぱり幸せになるよね、それ以外にないよね、とただただ納得した。

社会には社会の枠組みがあって、自分が暮らしを送るときにも一定の枠組みを作りだしてそれに従って生活しているが、なんと言ったらよいか、この枠を意識せずに生きられた時間が形になると、例えばAさんならAさんの作品になるのだろうか?

Aさんは納期もなければ、決まった作業手順に従っている訳でもない。これだけの利益を得るためにはかけられるものはここまでという計算もない。至福しかない。ひたすらひらすらやって、毎日自分のなかを至福の想いで満たしていって、本当に満ち足りたら、そのときに終わる。完成がやってくる。そういう感じを受けた。
誰かに従って完成のときが来るわけではない。

ある人はタオルの糸を丹念にほどいて、それからのち、表現の材料として使っていたが、その様子がまた静かで、喜びに満ちてていいのだ。
いいな、いいな。すごくいい。
それをできる環境もそれに伴走するひとたちも、なんて素敵なんだろう。

一枚のシャツに、ある人が3年とか、4年とか、ひたすら刺繍をし続けて、シャツの形が元の形とは変わってしまい、縫い付けた糸の重みで裂けてしまった部分もあった。でも・・・強烈に魅かれてしまうなにかがそこにはあって、私は圧倒された。
圧倒されたのは、時間が形になって存在していることに対してなのだと思う。うーん。すごい、至福の時間の凝縮された存在が形になっているのだよ?
それとは別に、文句なく素敵なのだ。色と言い、存在と言い、なにか引力が働いているとしか言いようがない。
これってつまり、もう、「もの」じゃなくて、「いのち」をもってるってことなのかな・・・。
だって、輝いてみえる。

こんなことも思った。
自分は知らず知らずのうちに枠を作ってそのなかに安定しているつもりになっているけど、その枠を守るのに、実は毎日が闘いみたいなものだ。安定とは程遠い。それはなんなんだろう・・・(決めたことに忠実すぎると、反対のベクトルの気持ちのとき、葛藤は大きくなる。融通が利かない性格は厄介だ(^^;))
・・・最近はそんな風に感じることが多くなってきて、それを抑えつけるのに自分でも苦労している。
責任を果たす、自分に役割を課す、そういうことを大切にしてきたし、だからこそ、ひとのなかでいきてこれたとも思っている。

でも、私は私に気持ち良いことをしてあげているだろうか。
私が本当に好きなことをする時間をとってあげているだろうか。
それは他人に対してもそうだ。
一緒に暮らしている家族、遠くの家族、地域でよく関わるひとたち、
そのひとのよいところが自ずとでてきて お互いに満たされ、望む暮らしが送れたらいいな。
ささやかなことでよいから、ひとつひとつ意識して、自分のつくった枠からでる、そのことを感じてみよう。
自分の作った枠は自分で作り直せるし、きっともっとできることがあるんじゃないかな。
もう少しバランスをとってみよう。
そう思ったら楽しくなってきた。











by hituzi-to-yagi | 2017-06-25 11:56 | ひと