みどりのおうちのじかん tenobe.exblog.jp

誰にとっても、日々の暮らしは かけがえのない時間。ひとつひとつを大切に物語をつむいでいきたい


by hituzi-to-yagi
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カテゴリ:みち( 1 )

2016年が明けましたね。
ここ最近夜が明ける前の空の星々が綺麗で嬉しいです。
さすが一月、空気が澄んでいます!
今朝は雲の合間に月や金星・木星が見えていました☆
そして朝焼けが大きく空を染めていました。

さて、お正月とは思えない、暖かく穏やかな1月の始まり。
昨年の12月からですが…
あちこちで水仙が咲いているのを見かけます。
我が家でも次々と薔薇が咲き続けております。
菜の花はとっくに咲き乱れているし💦
本当の春になったら一体どうなるのか、逆に心配になりますね。

今年はどんな年になるでしょう。
もとい、どんな年になるように頑張りましょうね。

私はいくつか思っていることがあります。
一つは引き続き、読み聞かせを小学校やコミニュティーで 
こどもたちやおかあさん方、
そして読み聞かせのメンバーと楽しんでいきたいです。
でも、楽しいだけではなにかが足りない、
楽しいことをただ続けていくのは違う、という思いがあります。

そこでもう少し踏み込んだ上で
この先どうやっていくか方向性を探ってみたいと
兼ねてから計画していた通り、
少人数の読み聞かせのセミナーに参加して、
本の世界にもう少しディープに関わってみます。
そこでどうこころが動くか、試してみようという思いでいます。

数年前になりますが、この世界に入った時は
とにかく浴びるように絵本を先輩方に読んでもらい、
子供たちと一緒にどっぷりとその世界に浸りました。
素話もあっちでもこっちで聞いて聞きまくったおかげで、
おはなしの「悦び」をからだ一杯に貯めこむことができました。

この悦びは、子どものときに味わったことのある
ただただひたすら心の底から湧きあがる楽しさだったり、
新しくものが見えてくる喜びだったり、
出逢いだったりしました。
それは一人で黙々と本を読むことで味わう喜びとは
また一味違うものでした。

年齢を重ねた分、経験が備わると言葉の重みが変わってくる
と感じるかたは多いかと思います。
きっとそのことも関係あるでしょうね。
そのせいか、受け取るお話が
子どものとき聞いたお話と内容は同じでも、
違う意味をもって迫ってきます。
心に響いて聞こえてくるものがまるで違うのです。
それはとても不思議で新鮮な体験です。

また、完全な受け身で聞くことで、
まるごとおはなしを楽しむこどものこころを
もう一度手にいれるというか、
閉じていた窓がもう一度開く感じがします。
自分のこころのなかで起きることなので、
ある部分はとても個人的な出来事なのですが、
ライブと同じで、語り手と聞き手のあいだで
こころが動くと
空間が面白いほど動きますから、
とても不思議な感覚を味わうことができます。

時には空間まるごとが
おはなしの世界に入ってしまって、
読み手と聞き手が消えてしまうようなことも起きます。
これは一人で本を読んでいるときにもあることですが、
大勢の空間だとダイナミックさがまるで違います。
しかも自分で読むのと違う色がつくというか、
読み手によって世界の響きかたが変わる
面白さがあります。
また聞くことだけに集中できる分、
実は情報がしっかり入ってくるのか、
意味をよくとれるように感じます。
その分、文がイマイチだと意味が通りにくく、
伝わる文とはどういうものか、
字面を読むだけよりも分かるように思います。

でも多くの人とお話を楽しむことはもちろん楽しいけれど、
本を知れば知るほど知らなかった世界があって、
子どものときに出会っていたらどんなによかったろう
と思う本がたくさんでてきました。
そうすると時間が足りない、
もっと個人的に本を読んでいきたい思いが募ってきました。
この両方を両立させていくためにはどうしたらよいだろうと
思い始めました。
ここに折り合いのつく方法はまだ見いだせていません。
とにかく今は今のことを続けるということ、
その上で別のことを探るということです。

他にもあります。
本はあくまで個人的なものです。
本は他の人と比べる必要もなければ、競争する必要もない、
ごく個人的な好み、傾向があります。
読んでも、読まなくてもよいものです。
個人の営みのひとつです。
その個人のものに私はどう関わりたいのか、
そもそも関われるのかということもありますが、
なにか道があるならば、もっと個人的に関わりたい。
でもどのくらい個人的なものを求めているのか…
それを私自身まだよくわかっていません。

私の関わっている会は 地域にとてもよく浸透していて、
一つの学年で年間通して読む回数も多く、
小学校の6年間+幼稚園や中学の3年間の積み上げていく時間を考えると、
ものすごい時間、子供たちと関わっているわけです。
しかも自分一人ではできないことを仲間がいるおかげでできるのですね。

本当のところ、私は人と一緒に活動するのは得意ではありません。
どういう訳か居心地が悪くなってしまう。…性分なのかな。
イソップ物語のこうもりやからすにこころから共感します。

でも個性が違うからこそ、会が成り立つこともちゃんとあるのですね。
この会に昔から居たわけではないので想像するしかないのですが。
ここでは他と違う意見も言えるし、そういう人にも居場所があります。
だから私も続けられます。
ここには、それぞれが認めあっているんだな、と思えるやりとりが
ちゃんとあります。
もし、いずれ自分で会を作ったとしたら、どうしたらできるか
…できたらそういうことも学びたいと入ったときから思っています。

でも一方でもしかするとそういう会での活動より、
私には児童文庫を開くほうが向いているのかも
と思っています。
地域で児童文庫を開けば、個人が通ってきますから
直接子どもと本に関わることができます。
もうひとつには大人向けに
本好きの同好会的集まりを作ることもありかもしれません。
他に考えているのは中学とか高校のクラブ活動みたいなものに
可能であれば個人で入っていくこととか、
小学校のお昼休み時間や学童へ本を持っていって通うとか・・・。

あれもこれもはできないことは分かっています。
そして今この会を辞めてしまったら、
今一緒にやっている人たちとのことを手放すことになるので、
決断するのはまだ難しいです。
今、関わっているこどもたちが卒業するまで見続けたい気持ちも強いです。

でもここまで続けてきて見えてきたことは、
きっと次の道への手掛かりになるはずですから、大切にしたいです。
こころのそこからよいなと思ったことをしたいのですが、
でももう既にあるものに相乗りするだけでは
少し、なにか、そぐわないのです。
そういう自分のなかの感覚を信頼して
今は手探りを繰り返すしかないのかなと思います。

今まででわかったことは
大勢相手よりは、少ない人数、
お互いの関わりを意識できる少人数のほうが、向いていると感じています。
この1月からは小学校で新しく、月2回本の貸し出しも始まるので、
そこでの経験からまたなにか次が見えてくるといいなと思っています。

根本の思いとしては、
住んでいる地域で、ひとと繋がっていけるなにか、
今もまだなにかはわかっていないけれど、居場所のようななにかを
つくりたいと思い続けてきたので、
学区が違う場所へ通い続けることは違う、
もっと足元に、身近な場をつくりたいのになという思いもあります。

震災のときの思いが出発点と言えば出発点です。
移り住んできた土地で、知り合いや友人もまだ少なく、
しかも市内のあちこちにバラバラに住んでいたので、いざ安否を確認しようにも、
また何かできることがあれば手伝いたいと思っても、
すべてが思い通りにならない、身動きならないまま時間が過ぎ、
不安が募り、
もどかしく情けなく、力のなさが身に沁みました。
隣近所の人とのおつきあいも
思っていたほど近くなりませんでした。
それは原発の事故もあって、
状況がハッキリしないまま生活だけが続くことも大きかったと思います。
それぞれが悩みを抱えて込んでいるような時期が長く続きました。

「あのとき」できなかったこと。
「つぎのとき」にできるようになるためにはどうしたらよいだろう。
(それには普段からのおつきあいの積み重ねしかありません)

そして「そのとき」だけなんとかなっても、
生き残れば生き残ったで辛い現実が立ちはだかります。

非常時と言うと、ある時期だけのように思いますが、
実際は一度起きてしまったものは続きます。
戦争と同じで、戦争前と戦争後の景色では何もかも変わってしまいますよね。
人生すべてを壊して、戻すことのできないまま続いていきます。
私は両親が離婚して、
親だけでなく、住んでいた土地も人間関係も失ったので、
つい重ねて考えてしまうのかもしれません。
親の離婚ってこどもにとって、そのときだけのことじゃないのです。
未来の道さえも閉ざされた思いがしました。
生きているけど、どこにも希望がない。
自分の意思がどこにも届かない。
信じられるものがどこにもない。
真っ暗なトンネルをずっとずっと一人で歩いていくのは
誰にとっても心細いものです。
人生にはいろいろなことが起こりますね。
同じように…たとえ自然災害であっても、
そこにその後、
どう、人が関わってくるかで、
人を信じる気持ちさえも失うことがあります。
そこまでが私に想像できる限界です…。

一人一人の人生って本当に様々です。
どれだけ他人に分かってほしいと思っても
分かってもらえない、
その思いの狭間で苦しむ人は多いでしょう。

だから、
ささやかな願いです。
誰もが
なんらかのこころの拠り所となるものと
出会うことができますように。

私には幾つかの拠り所があります。
時間も距離も超える、ずっと変わらないもの。
振り返ったときに
そのときそのときの出来事は
小さな灯りのように
輝いていたのだとわかりました。

こどものときに住んでいた村の役場のなかに
小さな図書室がありました。
その受付の女性から、
「この本、面白かったよ」と勧められた本が本当に面白くて、
人生の節目節目に読み直して
自分を見つめる時間を持ちました。
大人になった今読んでも読み応えがある、
そしていろいろに思いを深めることのできる本。
その本を手渡してくれた一人の大人がいたこと。
そのことは私のなかでずっと生きていて、
ずっと、大切に思っています。

それをひとつひとつ拾って道を辿ろうと思います。











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by hituzi-to-yagi | 2016-01-15 20:11 | みち