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みどりのおうちのじかん tenobe.exblog.jp

誰にとっても、日々の暮らしは かけがえのない時間。ひとつひとつを大切に物語をつむいでいきたい


by hituzi-to-yagi

すこやかに

震災のときのことは一年半近く経った今でもまだ言葉にできない。
いつか言葉にできるとも思えない。

ただ、ある人のことをどうしても伝えたいと思って、こうして下手な文章を書いている。

今回のことがなかったら、出会わなかったかもしれない人。

その人は、平さんといいます。
仙台の人で、それ以上は、ほんとのところ私には説明できない、です。

ブログを通して一方的に知り、一方的に勇気をもらっている関係だから。

でも・・・なんて言うか、一方的な関係なんだけど、一方的なだけでは終わっておらず、私にとっては大切な出逢いで、宝物なのです。
宇宙に無数に煌めく星みたいに、遠いけれど、身近にも感じ、その存在に励まされているのです。

あの・・・素敵な人ってどこにでもいますよね?
私の身近にもたくさんいるんです。
でも身近過ぎて、ここでアレコレおおっぴらに書くわけにはいかないわけです。
(あ、でもそのうち書きたくなってしまうかもしれないけれど)
だからって平さんのことを書くのもどうかと思わないわけでもないけど・・・。
と言うより、そもそも書けることはほとんどないので、自分のこころのなかのことを
書くことになろうかと思います。
だから分かりにくい、伝わらない話を書くことになりそうです。でも、書かずにはいられないです。

震災という大きな出来事に出逢ったときに、人々のこころも大きく揺れ動きました。
そして、揺れはあのときだけじゃくて、ずっと続いている・・・。それが私の実感です。

翻って、私の人生でも、それまでに何度か激震はありました。
両親の不和・離婚はそのひとつです。
自分のいのちの存在を否定したくなる、そんな日々が長くありました。
先にお話した受験のこともそのなかのひとつです。

いのちがぎりぎりの状況になったときに、人はどうするでしょう?
わたしは <ほんとうののぞみ> を考えました。
考えたというより、突きつけられました。

ほんとうののぞみはなんだろう?
わたしのほんとうは、なに?

私にできたことは、自らの意思を使って歩くこと。
自分の理由で決めること。他人の価値観によらないことでした。

そして、今回の震災でもうひとつ加わった思いがありました。

それは、必要なときには、ひとからの協力をお願いすること、です。
と言っても、なかなか必要なときに必要なことをお願いするって難しいですが、
でも、そうできるようになろう!と思いました。新しい発見でした。

で、平さんのことをまったく説明できてないんですが、ここで伝えたいと思ったときに
浮かんだ言葉のつらなりがあって。
それが次の言葉です。

たいらかに
すこやかに
ねがうは
あいをしるひと

彼は、人は一人でいきているのではないことを思い出させてくれます。

こういう人が家族だったら、ちょっと困るかな、と思いますが(笑)、
こういう人になりたい、と かなり、憧れます。
いつか、会って話してみたい人です。

私が男に生まれていたら負けないくらい男前だったんだが!(←ちょっと悔しいw)

平さんのブログはこちらです。http://blog.goo.ne.jp/cheapdust

私は昨年の夏頃に彼のブログに出逢い、以降、身近でその姿を見てきた気がしてます。
もちろん、身近で、という部分は錯覚です(笑)
でも、その錯覚というか勘違いのおかげで、たくさんの力をもらいました。
なくなった方々への弔いの花火を打ち上げたいというお話があったときに、すごく共感しました。遺された方々にも大切なことだと思ったからです。そして微力ですが、気持ちを送らせていただきました。

あの、私の言葉で言うと、こんなふうになってしまいますが、平さんには平さんのしっかりとした理由があり、それは 人との出逢い、約束で成り立っています。
それを知ると、私にはそのことを説明することはできないと思うし、私は私のことをするしかなく、それが一番大切なことだと思うのでした。

当時、私の住む町にもその町なりの困難があり、家族や友達と力を合わせて乗り越えてきました。
それが仲間へと広がり、今また新しい出逢いや出来事へと繋がっていっています。
たくさん泣いて、たくさん怒って、たくさん話したお陰だと思います。
つきあってくれた家族や友達に感謝です。
そしてその思いは変わらず ずーーーっと続いていきます。そのように努力し続けるということだと思っています。

すこやかに_b0253575_82503.jpg

# by hituzi-to-yagi | 2012-07-30 08:25 | ひと

ことのは壱ー1

いままでの ことや
こころの なかのことを
ことばに してみると
かたちが あたえられて
すがたを あらわすものが
ある

そとから みると

いかにも それが
ゆいいつの しんじつのように
おもえるけれど
それは
ひとつの そくめんを
あらわしたに すぎない

そう おもって
その ことばたちを ながめる
そのままを かんじる

(たいらかに の文章を書いてみての感想)
# by hituzi-to-yagi | 2012-07-24 13:56 | ことのは壱

たいらかに

たいらかに
すこやかに
ねがうは
あいをしるひと

仙台という土地を訪れたことはあるだろうか?
私は実は、初めての一人旅の行き先が仙台だった。
そして、それは大学受験のときのことだった。

大学受験と言っても、両親の離婚により、母一人に養われていた私にとって
人並みに受験する環境が整っていたわけではない。
母の望みは 私が専門学校へ進んで、設計事務所などで働くための技術を学んでほしい
ということで、そのためにならお金を工面してくれると言う。
しかし、そこは思春期の嵐のなか。簡単に従えるものではなかった。
(親は親なりに私の適正を考えて言ってくれたのは分かっていた。私は絵が好きだったし、
なにより得意だった。そして早く社会にでて働いて欲しいことも分かっていた。
弟を育てるためにもそれが必要だったのだ)

このように経済的理由がハッキリしているのだから諦めるしかないのだが、そこをただ
諦めないのが、私。
他に道はないはずなのに、既成事実を作ってなんとか自分の望む道を進みたかった私は
さっさと教師に言って推薦をとって、書類をだして、時刻表を買って行き方を調べ、
ホテルもとって、ギリギリまでケンカをして・・・それでも意思を曲げず、仙台へ受験に向かった。

しかし内心は「本当に仙台へ行けるかしら」、「果たして試験に受かるかしら」と泣きそうに
なりながら切符を握り締めて、電車が停まるたびにドキドキしながら駅名を確認し、電車を
乗り継いで、なんとか仙台駅に降り立って、駅前でベンチに座って楽しそうにお喋りをして
いるおばあちゃんたちにバス停を尋ねたら・・・

そしたら、日本語がわからなくて・・・ビックリした。
日本狭しと言えども方言はいろいろあるもので、わかっちゃいたが・・・実際行ってみたら
本当にわからなくて困った。それが私にとっての仙台。

そういう、単純にひと言では言えない自分の人生と重なる場所が仙台だった。
結局、そのときは縁がなく、私はその後、まったく別の場所で人生を送る。

そして、本当にたまたま、結婚した相手が音楽を趣味とし、同じ演奏メンバーのなかに仙台
出身のかたがいらっしゃり、そして毎年定禅寺ジャズフェスティバルに応募している縁で、
仙台に行く機会を得た。

そのたまたまの縁がわかったとき私はとても嬉しかった。

10代の大冒険は、その後の大冒険のスタートだった。
もう一度その場所に戻ってこられるなんて、想像していなかったから、本当に嬉しかった。
それから何度も訪れ、そこで出会う「人」と過ごす「時間」に惹かれ、いつか住めたらいい
のにな、と思うほど好きになっていった。

そして・・・去年の震災があった。
# by hituzi-to-yagi | 2012-07-24 13:55 | ひと